私のルーツ

sasso.sio

2009年07月06日 18:01

私のルーツを語ってみようと想います。
非常に長い文章です。


さかのぼれば、
私は小さい頃、けっして裕福ではない家で育ちました。

両親は自営業を営んでおり、土日もお仕事なので
家族で出かけた経験もあまりありません。

欲しい物をねだった経験もほとんどありません。たぶん。
未だに、「何が欲しい?」
というような質問をもらうと・・・少しこまってしまいます。


欲しい物は、自分の力で手にいれる物。
だと昔から染みついているからかもしれません。


ここに書いていいものなのか、少しはばかりますが・・・(笑)

思い出すと、涙が出てきますが、(笑)
小学校6年生か、中学生1年生の時、
数人の友達と遊園地に遊びにいく予定を立てて
母にお小遣いが欲しいとねだって、
「そんなお金はない。」と言われて、
「なんで???親ならそのくらいなんとかしてよ!!等々」
色々わめきちらして、走って家を飛び出して、 

結局最後は、お庭でちじこまって、土をいじって、
母に初めて激しく言葉を投げつけて、悲しい顔をさせてしまった事を嘆きながらも
お金が無いことや、みんなと遊園地に行けないこと、みんなになんて説明しようと考えて
やるせなくて、
悔しくてく悔しくて、涙を流しながらいじけていたら、
母が来て、お父さんに相談してみよう。と。


そしてどうにか工面してくれて、遊園地に行くことが出来た。
という経験が今でもとても印象的です。



両親の帰りが遅くても、一生懸命頑張って働いて、
稼いでくれているのを分かっていたし、
4つずつ離れた兄が二人いたので、全然寂しくなかったです。


両親は、仕事やお金の事でけんかで言い合いになったりする事も多かったですが、
一生懸命、仕事に誇りを持って生きている両親を、
私は大好きだったし、今でも尊敬しています。



鍵っ子で、家に帰る時は、「ただいま~」ではなく、
自分に「ただいま~、おかえり~」と声をかけていたそうです!!
1人で2役!
大人になってから、母から、その話を聞いて、

「さすが、ボジティブな娘!!」と自分自身に関心しましたが、
やはりその当時、母にはとてもショックで、私を不憫に想った。との事です。


まあ
子供は、しっかり両親や家族の愛情を感じていれば、
ほったらかされていたって、
素直でたくましく育つものなのです。


それでも、やはり子供ですから、
お小遣いを毎月もらっているお友達が
うらやましくてしょうがない時期もありました。

ある時、テレビから
中東で戦争が起きている映像が流れたとき
「ああ、私って幸せだな。日本人として日本に生まれただけで
幸せなんだ。家族もいて、家もあって、毎日ご飯が食べられて。
貧しいなんて言ったら、罰が当たる。」


日本人って幸せだ。
贅沢で、わがままで、
それでいて、自分を不幸だと想っている人間があまりにも多くて、ある意味不幸だ。


世界から戦争や貧困、飢餓をなくす為にも、日本人がもっと頑張らなきゃいけない!
日本人の意識が変われば、絶対もっと世界はよくなる。
そうテレビを見て感じた。



お小遣いはあまり貰えなかったけれど、
おかげで高校に入学して、
アルバイトをして、自分でお小遣いを稼げるようになった事が
めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。


アルバイトの面接にいくのも楽しいし、
アルバイト先の先輩や上司から、色々と教えてもらえるのも楽しかったし、
お客様に「ありがとう」って喜んでもらえるのもうれしかった♪


部活は応援団部でチアリーダーをやっていたので、
毎日夕方まで踊りの練習をして、くたくたになって、
アルバイトにいって、アルバイトでまた活力をみなぎらせ

地元の進学校に行ったのにも関わらず
勉強は好きだったけど、
学校の授業はとても眠くて、眠くて、よく寝ていました。(笑)

お金がなくて留学は諦めたけど、
アルバイトしたお金で、両親の仕事関係のお宅へ
ドイツとイギリスへ3週間のホームステイにも行きました!!


高校3年生の時も、
世界平和を目指していた私は、総合政策学部に行こうと決め
勉強するものの、スタートダッシュが遅く、


「レベルの低い学校にいって、遊びに行くようなら、大学なんて行かずに働け!!」

と上の兄に叱られ、滑り止めの大学を受けずに、
お金もなかったので、3校しか受けれませんでしたが、
結局レベルを落とさず受験したら見事に落ちて(笑)

一番上の兄に「出世払いするから!!」と懇願して20万円ほど借りて
仲間がたくさんいく隣街の予備校に行くのはやめて、
誰も行かない反対方向の予備校に一人で通い、
アルバイトしながら勉強して

翌年、念願の総合政策学部のあるC大学に合格しました!
大学も、奨学金とアルバイトで乗り切りました!
多いときは1度に3つ掛け持ちしていました!!
夏休みなどは、1日3つのバイトをした事もありました!!
もはや武勇伝です!

世界平和、日本の活性を目指し、
政治を勉強し、議員インターンも経験して、政治家を目指しつつ
社会起業家にあこがれ、社会起業家を目指し、
大学時代も、人よりとにかく、はちゃめちゃ頑張って
一部でかなり有名人になりながら、


「日本を元気にするには、イキイキとした主体的な人間をたくさん増やすことだ!」と
「両親にお金の心配をさせない生活をおくらせたい。両親のために、家を建ててあげたい、稼ぎたい!」
そんな想いで

行動行動、まさに感即動で、4年間走り抜けて
友達もたっくさんできて、知り合いも2000人以上出来て、
素晴らしい人生の師も何人も出来て、
一流企業に就職して、配属で浜松へ。

知らない街で、4年間弱とにかく頑張って
次のステップに進むために高給を尻目に退職し、現在に至るわけです。


「働く」こと、誰かの為に動くこと。
それが自分の喜びだから、働くことも、誰かの力になれることなら・・・
辞められません。




長い説明になりました。

そんな訳で、
「がんばる人を応援したい!」というのは、
私自身が、たくさんの方々に応援してもらって、今があるから。
感謝の気持ちで、次につないでいかなければ。そして、がんばっているのに報われない子供達の力になりたいから。

頑張らない子をこれ以上増やしちゃいけない。
頑張らない子には、頑張れば報われる事を教えてあげたい。
頑張り方が分からない子には、がんばり方を教えてあげなくちゃいけない。
頑張ってる子がしっかり、認められる社会・世界にしなければいけない。


夢が大きい分、
今をとにかく頑張らなければいけない事ばかりです!!!

【人は、流した悔し涙の分だけ、成長する。】


暑苦しい人間かもしれないけど、

ここにまさに、小さい頃からの夢
初心があります。
志があります。

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